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黄昏ミニヨン想録堂

"Kennst du das Land, wo die Zitronen blühn" 想いし事を録取する書堂

名前:
場所: 遠江, 静岡, Japan

何時の何処にでも居る勘違い頭でっかち

8/12/2006

食べ物嫌いを考える

 最近ゲームの報告ばかりだったので、久しぶりにツラツラと理屈を捏ね回してみんとす。

 唐突ですが、自分は生トマトが嫌いです。今は煮たものなら食べられる様になりましたが、昔は何しようが食べられませんでした。どれ程に嫌いかと言うと、まだ一歳にも見たない時、離乳食に混ぜられて食べさせられたら、露骨に嫌な顔をして床に吐き捨てた程(親に聞いた話)です。

 所でよく先生や親御さんは、好き嫌いを無くそうと嫌いなものでも食べさせようとするじゃありませんか。自分も、小学校の給食で生トマトを食わされました(当然吐きましたが)。

 しかしはっきり言ってこの考えは賛同出来ません。食わず嫌いを無くそうと言うのならまだ解りますし、自分にとって凄く嫌いな食べ物があるから、と言う事もありますが、もっと宗教的な意味において、いやそれは違うだろうと、思わざるを得ません。特に今のこの国において。

 まず、よく言われる理由は栄養素の偏りです。成る程、好きなものばかり食べて嫌いなものを食べなければ、その嫌いなものに含まれる栄養素は取れません。が、しかし。それに含まれる栄養素は、果たしてそれだけに入っているものなのでしょうか。他の食べ物からも取れないでしょうか。はっきり言って日本は飽食の国です。探そうと思えば、幾らでも探せましょう。科学の進歩した今では栄養補助剤と言うのもあります。また、そうで無くとも、少なくとも飢餓と言う偏る所か全ての栄養素が取れない状況にはまず陥る事は無い以上、この悩みは杞憂であり、同時に贅沢な悩みと言う他ありません。

 飢餓と言えば、理由として「貧しい国の人はこんなのも食べられない」と言うのもよく聞きますが、これは論外です。嫌いなものを食べられない事と、貧困に喘ぐ人が食べられない事に、何ら接点はありません。よしんば食べられる様になったとして、その人は飢餓から救われるのでしょうか?いいえ、ありません。日本が飢餓になった時に困るから、と言うのも意味の無い心配です。人間切羽詰まれば己の糞尿でも食べます。つまりこの考えは貧困がどうこう飢餓がどうこうでは無く、「第一産業の皆様や料理を作ってくれた人、食べ物に対して残すのは申し訳無い、勿体無い」と言う極めて神道的且つ日本的な精神から来ているのでしょう。

 成る程、この考えは一理あります。嫌いだから、と言って食べないは、食べ物に、それを育ててくれた農家や牧場の人達に申し訳無い、と言う考え方凄く良く解ります。

 ですが、嫌いなものを食べる人は、一体どんな気持ちでしょうか。嬉しい?楽しい?美味しい?絶対に在り得ません。嫌いなのですから。それは少なからず態度にも出るでしょう。その様な心持と姿勢を持って食べる事に、果たして申し訳が立つでしょうか。立つ訳がありません。

 或いは、食べる人が物凄い演技力を持った役者で、嫌いなものでも笑顔で食べたとしましょう。その場合でも内心は吐き出したい気持ちで一杯です。嫌いなのですから。それにも関わらず、表面は美味しそうに食べている。断言します。

 最低だ この偽善者め

 飾り立てた笑みを道具に 感謝の念を偽装する

 裏切っているんだ

 調理者を 生産者を 食材達を

 かく言う訳で、嫌いなものを無理に食べさせる事は、幾多のモノに対して失礼千万。本人の精神的成長にも決して良い訳は無く、身体的成長においても既に利点は損なわれている今の状況では無意味に等しい。双方の信頼関係の為も兼ねて、即座に止めるべきでしょうな。嫌いなものは好きなものが食べる。それが本人にとっても回りにとっても一番良いのです。

 と言う訳で我が弟よ。ゴーヤは自分によこせ。嫌いだから、と言う理由で三角ゾーンに捨てに行くんじゃない。

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